国際魔法科学研究所公式HP

魔法科学の最新動向に関する論考

暗号技術に隠れているもの

 Wired誌6月号「Praradise@CryptoArcade」が面白かった。以下、メモ。


 Web 1.0 というのは、端的に言って、Microsoft Internet Explorerなどのブラウザーの時代だった。それに対して、Web 2.0というのは、Wikipedia, Amazon製品レビュー、YouTubeなどユーザージェネレイトコンテンツの時代だった。それを反映し、2006年のTime Person of the Yearは“You”、すなわち、ユーザーがインターネットの主役だと言われた。しかし、ユーザージェネレイトコンテンツは、結局のところ、ユーザーの無償労働であり、その中から生まれたソーシャルメディア大手4つのうち3つはMeta、YouTubeGoogleである。Web 2.0Facebookを産み出し、Googleを急成長させた。AppleAmazonWeb2.0の恩恵を受けて発展した。現在のGAFAWeb2.0の帰結というのは皮肉である。


 Web 3.0は、こうした巨大プラットフォーム支配に対して、 「ブロックチェーンは違う」、自律的な脱中心化だというが、それは本当だろうか?Googleの有名な社是として「don’t be evil(邪悪たるべからず)」は、いまや空疎な響きだが、これをもじってWeb 3.0は「Can’t be evil(邪悪にはなりようもなくできている)」だという。


 すでにBitcoinとEthereum の消費電力を合わせると、英国やイタリアの消費電力(どちらも286Tw)と同じくらいになっている。その原因になっているブロックチェーンの計算は“proof of work”から、“proof of stake”と幾分計算量を減らす方向に進められようとしているが、それで低消費電力化とセキュリティが補償されるのだろうか。NFT marketplaceのOpenSeaから200万ドル相当が盗まれたなど、ブロックチェーンは本当に安全なのかという疑問が湧く話は引きも切らない。


 また、Web3.0は脱中心化だというが、Web 3.0のインフラの殆どはInfuraAlchemyの2社が握り、NFT market placeはOpenSeaが支配しており、脱中心化どころか、むしろすでに現状は寡占化されている。そもそも、「いいね」まで、なんでもブロックチェーンにする必要はなさそうだが、黎明期の混乱が続いている。


 暗号通貨は銀行を不要にしようというところから出発した。金融取引は通貨情報のやり取りなので、ITとの親和性が高い。銀行が間に入る必要があるのか、というのは情報技術の観点からはもっともに思える。中心で銀行を介さず直接取引できるのなら、そのほうが効率的である。しかし、そうした中心が存在するというのは、中心化し集約するほうが効率的だったということである。また、少なくとも現時点では、ブロックチェーンや暗号通貨を用いない従来の金融の方が、より多くの企業が参入しているという点で、脱中心化している。(また、信用という観点もここでの議論には欠落している。)

 

 会議で、筆者の「Web 3.0よりもデータポータビリティー法の方がWeb3.0よりも簡単なのではないか?」という問いに対して、開発者は「政府はソフトウェアよりものろまな時代遅れのものだから、我々が置き換える」と答えている。Web3.0推進派は政策に働きかけることに興味を持っていない。また、「Open App Market Actが通れば、Web3.0アプリをApp Store以外でもダウンロードできるかもね」という筆者の冗談に対して、開発者は「そんんな法案があるの?!」と驚いていた。


 (開発者は」、あまりにナイーブなのではないか。金融における信用への考察も見られない。深く考えている様子もない紋切り型の認識は、いつの世の中でも起きる若者の社会運動のようにも見える。そのモーメンタムが本当に社会を変えるだろうか。)


 従来の法律と違い、DeFi(Decentraized Finance)には殆ど規制がなく銀行もないので、盗まれても補償する必要が無い。2021年だけでDeFiプラットフォームから$10 billionが盗まれている。

 

 (このことは、暗号通貨とDeFiにおける信用の欠落を示しているが、暗号通貨推進派に言わせると、それは解決可能な技術的問題だということになってしまう。これは、根本的な間違いだと思う。バグのない情報システムはこれまで存在しなかったし、多分、これからも永遠に存在しない。その前提に立たないと、すべて、解決可能な技術的問題で、すぐにfixされるということになってしまう。Web3.0全てに関わりそうだが、この論法は質が悪い。ほとんど詐欺だと思うが、詐欺だと立証することもできないだろう。)

 

 背景には、Linux以来のオープンソースの反拝金主義の理想主義があると、筆者は指摘する。しかし、現実的には、それではエコシステムは成り立たない。Web3.0のビジネスモデルは、トークンを参加者全員に配布して、参加者にトークンの価値を増大させるインセンティブを与えるというtokenomicsということになる。そして、トークンの価値は、それを買いたいと思う人がいるかどうかで決まる。例えば、Web3.0 Search EngineであるPresearchでは、広告主は、検索上位にくるためにはトークンを買わなければならない。トークン経済でユーザーのモティベーションを方向付けし、儲けすぎて、トークンの今後の価値上昇が期待しにくくなれば、ユーザーが去って行きトークンの価値が下がるという。そのため、独占が生じず、投機性が維持されるという。(支離滅裂である。)仮に、そうだとしても、一人で複数のアカウントを持たれたらどうなるのか。そうした1つのサービスよりも、インフラに価値は集中することになる。


 GitCoinのファウンダー、Kevin OwockiはWeb3.0 funding platformを目指していると言うが、自身を「cypherpunk、leftist、solerpunk、regenerative crypto-economics」の信奉者だという。

 

 DAO(decentralized autonomouse organization、分散型自律組織)では、メンバーはDAOのトークンを購入して参加すると同時に、そのDAOのオーナーとなる。メンバー兼オーナーはそのDAOの意志決定、多くの場合投資、に関して投票する権利を持つ。最初のDAO、"The DAO"は2016年に崩壊、イーサリウムで$50millionが盗まれた。DAOのインセンティブ設計手法、"quadratic voting"では、多額の「ポイント」を投じれば投じるほど、その効果が逓減するようなモデルで、一部の富豪の支配を防ぐのだという。


 MicrosoftのGlen Weyl, Microsoft は、I am deeply ambivalent about Web3"だとし、脱中心化やデジタル公共財といった考え方は支持するが、ブロックチェーンや暗号通貨のポテンシャルについては現時点で懐疑的だという。ここでも、sybil attack(1人で複数アカウントを利用したピアツーピアの攻撃)の問題はつきまとう。
 筆者は、この会議を通じて得た印象として、1つに、DAOはトークンを持つ者の集団というだけにすぎないとする。2つめに、実際に自身の理解のために、DAOを試しに作ってみた経験の感想として、DAOを作るのはゲームのようで楽しい(Web3 is a realm where coders can feel good again about working in tech.)という。


 こうして、読んでくると、分散型自律組織(decentralized autonomous organizations :DAO)や、「分散型自律ネットワーク」、Web3.0というのも結局、トークノミクスでインセンティブを設計した閉鎖的ネットワークというだけで、新しいインターネットのように言うのは言いすぎに思える。結局、単なるクローズドネットワークではないのか。だが、記事で挙げている話も、どこか恐る恐る、こんなものはでたらめだろうと言っているように聞こえる。
 トークノミクスでオーナー兼参加者のインセンティブを揃えると言っても、何故、それにわざわざブロックチェーンを使う必要があるのか。
 ネズミ講も社会全体に普及すればネズミ講ではないとか、親が儲からないようにすればネズミ講ではないというのは、The屁理屈ではないのか。
 最後は、こういう詭弁を考えるエンジニアは楽しいだろうなと嫌みを言っているようにも聞こえる。
 しかし、いやそれは、とブロックチェーンの話をされると、煙に巻かれてしまいそうだ。ならば、なぜ分散台帳で履歴が記録されているはずなのに、多額の暗合通貨が跡形もなく盗まれてしまうのか。
 記事でも触れられているが、そもそも、ビットコインの論文を発表し、発明者とされるSatoshi Nalamotoとは何者なのか。実在するのか?日本人なのか?何者かの偽名なのか?だとしたら、誰がどうしてそのような形で発表する必要があったのか?出発点から胡散臭い暗合通貨は、本当に信頼できるのか?2008年からある話が、なぜここで盛り上がっているのか?発端となったSatoshi Nakamotoの論文も、理論上正しいというのは、数学的には無限大や無限小ではそうなるから理論的に正しいということなので、現状を見るに実用的かどうかというと微妙なところかもしれない。
 王様は裸だと言い切るのは、ビル・ゲイツイーロン・マスクのような王様でないとなかなか言えないもんだなという気がする。王様でもない一般人としては、こうして書いていて、やはりどこか不安ではある。個人的には、Web3.0は裸だという方に10イーサ賭けてみたい気がするが、暗合通貨は一切所有していないし、購入する気もない。。