国際魔法科学研究所公式HP

魔法科学の最新動向に関する論考

Section 230

Section230を巡る現在の混乱

 2020年の大統領選挙後にトランプ陣営は、Dominion社の投票システムはベネズエラジョージ・ソロスクリントン財団の支援によって作成されたという陰謀論を展開した。FoxニュースなどのメディアやSNSは情報拡散を続け、1月6日、”Stop the Steel”を合言葉に掲げる暴徒の議事堂襲撃事件にまで発展した。そして、2月には、Fox News、Giuliani、Powell、Mike Lindellに対する巨額の賠償を求める訴訟が提訴された。米国政府は何が真実かを決めることはできなくとも、法において言論の自由に歯止めをかけることはできるはずだ。

 しかし、この追求は、FacebookYouTube、Parler、Gabといったソーシャルメディアに及ぶことはなかった。というのも、通信品位法230条(Section 230 of the Communication Decency Act)があったからだ。Section 230は1996年に成立し、オンライン・プラットフォーム(あるいは、インタラクティブ・コンピューター・サービス)は、ユーザーによる投稿内容に責任を追わないことを認めている。

 これをどう解釈すべきかについて、議論は途上にある。恩恵を受ける企業がある一方で、言論の自由の観点から問題を指摘する見方もある。成立から25年を経て今、結局、Section 230はどういう意味なのかという疑問の声が上がっている。トランプ前大統領は、「Big Tech, Section 230, right?(ビッグテックはSection 230を利用しているだろう?)」と主張している。バイデン大統領は2020年1月に「Section 230は即刻廃止されるべきだ」と述べている。

 Section 230に対する両者の意見は、Section 230を問題視する点では、奇妙に一致している。結局、Section 230を批判する人の多くは、自分が何を言っているのか、分かっていないのだ。

 

モデレーターのジレンマ

 Section 230は言論の自由を定めた法律だと言われるが、実際は、そんなグラマラスなものではなく不法行為(tort)に関するものである。とりわけ、中傷に関するものである。中傷に対しては、間違った主張を新聞が取り上げた場合、その主張者と新聞の両者を訴える事ができる。

 この出版におけるルールがオンラインに適用できるか?という問題が最初に取り上げられたのは、1991年のCubby vs. Compuserve裁判で、そこでは、フォーラムの編集をおこなっていないCompuserveの役割は出版者(publisher)というよりも配信者(distributer)であり、責任を問われないと判断された。これはインターネット企業にとっては好都合だったが、もし、フォーラムを編集し問題を回避するmoderationをおこなったら、責任が生じるのだろうかという疑問が湧く。

 その4年後には、投資銀行に対する中傷投稿をめぐりサイト運営者に対する訴えが起きたが、不適切投稿に対する監視(moderation)をおこなっていたサイト運営者には出版者と同様の責任が認められた。しかし、この判決の結果、ユーザーをハラスメントや猥褻行為から守ろうとすれば、訴訟で負ける恐れが高くなるというジレンマに運営者は直面することになった。

 このジレンマに対応するために、通信品位法(Communication Decency Act)の第230(Section 230)条が設けられた。そこでは、インターネットのプラットフォームは、法的に問われることなく、ユーザーを保護できることが認められている。そして、サービスプロバイダーやユーザーは出版者や情報提供者として扱われることはないとされている。

 これによって、運営者は、不適切投稿監視に関するジレンマからは開放されることになった。

 

完全な免責

 1995年4月19日、オクラホマ市の連邦政府ビルでテロリストの爆弾により168人が犠牲になった。その6日語、AOLに“Naughty Oklahoma T-Shirts(まぬけなオクラホマTシャツ)”の広告が掲載された。投稿者は今持って不明だが、Tシャツの申込連絡先として示されていた電話番号はシアトルのTVプロデューサーのものだった。身に覚えのないプロデューサーは、Section 230の成立の2ヶ月後の1996年4月、連邦裁判所に対して、AOLを出版者としてではなく配信者として訴訟を起こした。配信者だとしても、何も責任はないのか?配信の放置といった別の形の責任は問えるのか?といった点が争点になった。

 Harvie Wilkinson III判事は、”plainly immunizes computer service providers like AOL from liability for information that originated from third parties(AOLのようなコンピューターサービスプロバイダー)は、第三者が投稿した情報に対する責任を負う必要がないことは明らかである(plainly immunize)”という判決を下した。この判決が先例となって踏襲されることになった。しかし、この判決は、Section230のパラドックスを露呈することになった。Section 230は元々、ユーザーを保護するためにプロバイダーの監視を保証することを意図していた。


議論の行方

 その後も、文言を文字通りに解釈した判決による混乱もあり、デジタルの世界にも一般の法律と同様の問責が何故できないのかといった問題提起が相次いだ。電子メールからクラウドサービスに至るまで、様々なネットサービスのどこまでが責任を負うのかという問題は、今日の巨大プラットフォーム企業存続の根幹に関わる。しかし、Section 230なしにうまくやっている国や企業もある。漸次対応を進めるのが、現実的でもある。

 Section 230については、様々な改正案が提案されている。民主党のSafe Tech Actでは、speechをinformationに置き換え、表現の自由を保護するという観点からの提案がおこなわれている。また、Section 230の保護対象をメディアのような編集に責任があるサイトに制限しようとする考え方もある。別の考え方では、巨大プラットフォーム企業などの商業目的サイトに対するSection 230の保護を制限しようとしている。穏健な考え方としては、乱用していないことが認められた企業に対してだけ、Section 230による保護を認めるというものもある。ただ、これらの考えのいずれも、全ての問題を一気に解決する決定打とはなり得ない。

 一つ確かなのは、Section230抜きには、今日のソーシャルメディアはなかったということだ。こうした法律や判例の混乱がなければ、従来の法律の妥当な適用や適切な法律制定がおこなわれていたかもしれない。法律を変更するにしても、大企業は変更に対応できても、中小企業は対応費用を負担できず、大企業のみが利益を享受する恐れもある。また、自主検閲に任せた放任主義も顧みられうことすらなくなっている。Mark Zuckerbergは、Section230の改革を支持するといっているが、小さな修正であれば、相対的にFacebookにとっては有利に働く可能性もある。一方で、コンテンツの適切な監視をおこなうモデレーション・ソフトウェアを提供するCaliberAI、Sentropy、Sendbireといったサードパーティも登場している。

 結局、実際のところ、Section 230は、巨大プラットフォームにビジネス上のコストを引き受けなくて済むようにしてしまった。有害な化学物質を製造してしまった化学企業や、危険な商品を販売した企業はこうはいかないだろう。だが、それでもテフロン加工のフライパンがなくなることがないように、インターネットがなくなるわけでもない。